3. ぐらんびあ 不始末 円盤P

今回は私が合成音声ONGAKUを聴き始めたごく初期の期間に特にインパクトの強かったPと曲を紹介します。これらを聴いてみてもまだボカロを敬遠するんですか?と挑戦的にたずねてみたくなるような曲を貼りますから、騙されたと思って(常套句!)聴いてみてください。

まずはぐらんびあさんです。

ぐらんびあ - new world     2017/8/14 (2012/6/24初投稿曲の再アレンジver.)

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何回聴いても聴き飽きることのない最高な曲です。

ジブリの音楽っぽいですか? しかしこれは歴然とぐらんびあ節全開なメロディーなんです。

もう1曲聴いてください。

ぐらんびあ - オレンジ色のカレー     2017/8/26

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優しい。。 やっぱり最高です。

僕はこの曲でヤラレて、過去曲を巡って完全にファンになりました。素直で綺麗なメロディーだけが武器ではなく、常にリズムのアプローチにエレガントなセンスが光ってます。ドラムはドラムンベース的ドラミングだけどベースのフレーズはドラムンベース的なボーーーンなベースではなく、どっちかというと青春ロックマナーで、これがジャングル歌謡と言えばいいのか、発明感があってそこもまたぐらんびあ印で良いのです。毎回コンセプトが違う感じも頼もしく、新曲が待ちどうしいPの1人です。ぐらんびあさんは非常に謙虚に、マイペースに、自身の聴きたいものを作り出しています。こんなに素晴らしいのに再生回数は非常に少なくて、ボカロシーンのごく一部においてだけ知る人ぞ知る、という規模なのがなんとも歯がゆいです。

 

 

次は不始末さんの曲です。

不始末 - 野菜サラダ     2012/2/19

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抜群の不思議感がたまりません。

不始末さんのblogに不始末さんが"読まなくていい"と言う『野菜サラダ』のあとがきがあるので丸々引用します。

                                                                    

■タイトルと歌詞
「野菜サラダ」ですが、実際は野菜ではなく病のことを考えながら作った曲です。
いわゆるタイトル詐欺ですね……。
昨年の夏くらいから精神医学について聞きかじったり読みかじったりしたことを形にしたくて歌詞から考え始めました。アイディアについての最初のメモの日付は9月1日だったので、大袈裟に言うと構想5ヶ月!です。
最初は統合失調症(schizophrenia)をなぞってスキゾフレニカというタイトルを考えていたんですが、いわゆる分裂病的な音楽性を持った人はたくさんいるので(感性の反乱βタグでたくさん見つかると思います)、自分がそのタイトルを使うのはふさわしくないなと思ってもっと冗談みたいな感じを目指しました。
タイトルにはかなり悩んで、「サラダワーズ」とか「ソノサラダ」とか「サラダシンドローム」とかいうタイトルを考えては没にしてます。

「サラダ」というイメージは「言葉のサラダ」(文法的には正しくても意味が通じないような言葉。統合失調症患者の支離滅裂な発言に対して使われることがある)から持ってきたわけですが、歌詞自体は別に支離滅裂を目指して作ったわけではないので、申し訳程度に動画説明文を言葉のサラダにしてみました。

精神疾患、とりわけ統合失調症というのは20世紀から表現者たちにとって格好の素材だったと思うんですが、今なお原因不明のこの病について僕が考えずにいられなかったのは、思うにそれが言葉と意味にかかわる病だからです。

聞きかじりの知識ばかりなので鵜呑みにしないでほしいのですが、統合失調症というのは言葉と意味をうまく繋げられなくなって、結果として対人関係に支障が出るという病です。それは異常事態ではあっても、外的な異常というよりはむしろ人間の防護機能が薄くなって精神の本質が透けて見えるようになった状態、というような気がします。
そして一般にイメージされがちな妄想や幻聴などの急性症状以外にも、たとえば感情の鈍りや言語障害など、さまざまなレベルでの不具合が起こるといわれています。
また芸術家の中には発症しながら高い成果を残した人がいる、というのはよく聞く話です。
病的な状態を経て、精神の内面に変化が起こってしまう(ただしそれは欠陥や劣化とは限らない)というような経過のイメージはそのまま曲の構成に翻案しました。
そのような変化――何か異質なものが自分の中に溶けてなじんで当たり前になってしまうような感じ――が、あえて言うならばこの曲のコンセプトです。

ちいさい音、という言葉をふたたび持ちだしたのは、微小の音をカットオフできずに意味あるものとして捉えてしまう聴覚の病的様態に通じる気がしたからです。そう考えると僕の好きな、単一の音それ自体をめでるようなタイプの音楽は分裂病親和的なのかもしれないですね。
(医学的知識についてあんまりいい加減なことを書くと怒られそうなのでこれくらいに)

あっ、音楽ですから、聴くときは上記のことは忘れないとダメです。この文章は"あとがき"という名の二次創作なので。
もちろん、歌詞のこの部分がこういうことを指している、とかいった逐語的な解釈も無用です。言葉や意味というのはもっと曖昧で中間的なものなのです。

精神医学関連の本で最初に読んだのは中井久夫著『精神科医がものを書くとき』でした。エッセイ集ですが、文章表現が豊かで精神疾患の考え方のヒントにもなるので、もし何かしら読んでみたいという方がいたらおすすめしておきます。
精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫) 精神科医がものを書くとき (ちくま学芸文庫)
(2009/04/08)
中井 久夫

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そういえば以前野菜MADを作ったことがあったんですが、やさい、という語が音的に対称(逆再生してもやさい)だという事実は面白いですよね。ちなみに野菜サラダを逆再生すると「あだらしやさい」みたいな音になります。どうでもいいですね。

■曲
冒頭と3:45くらいで聞こえてくるささやき声みたいな音はミクの声を加工(グラニュラーシンセシス)したもので、「野菜に大根」(「おかえりなさい」の逆再生)と言っています。ほんの遊び心です。

VOCALOIDを使う以上「うた」を作りたいと思うので、今回は意識してボーカル成分多めにしました。
めずらしく4つ打ちリズムの部分が多くて、テクノにもエレクトロニカにもなれないような変なアレンジだと思います。ジャンル名を聞かれたら僕は「うた」とか「ボーカロイド」としか答えられないです。

曲調がコロコロ変わるのが特別好きというわけではないんですけど、自分で作っていくと自然にそうなってしまうようです。
編曲においては一般的なことだと思いますが、変化を付ける場合は何もかも変えてしまうのではなく前後で共通する要素があったほうが自然になるので、スレイベルの音を何回か使ったりしました。それとリバース(逆再生)系の音色は次の展開につなぐための"引き"になるので、こちらも多用しています。

■動画
高度な編集はできないので、いつものように波形と文字とカラーイメージがメインです。
曲の雰囲気が変化していくから、せめて色くらいは変えないと不自然だな……という程度の動機で作りました。2007年からニコニコにいるくせに動画編集は苦手です……。
編集ソフトはフリーウェアのJavie、歌詞のフォントはフォントポにほんごです。Javieはオーディオ波形や周波数スペクトラムを簡単に入れられるので重宝してます。今回は極座標エフェクトを使って波形を丸くしてみました。

アップロードしてから最後のフレームで文字が残っているミスに気が付きましたが、それくらいはご愛嬌ということで……。

■おわり
です。
次はいつになるか分かりませんが、またいろいろ思考して作りたいと思います。

                                                                     

Pの考え。

確かに"音を聴く"という行為そのものには、作者の細やかな選択理由や工夫の詳細を知る必要はないことです。私もそう思います。だからこそニコニコ動画の流れるコメントに長年抵抗があったわけです。

しかし、ニコニコ動画奥行きのある共感空間によって構築可能となる楽曲理解の力学のおかげで、それまでは理解に向かおうとしなかった様々な領域に対して自分を開いていける という効能の良さを体感した今では、不思議な建築物を設計した人の哲学に宿るポエジーのようなものに触れることは大きな喜びだ というような気持ちが芽生えていて、不始末さんのようにその創作日記的な記述を詳しく残してくれている方は稀にしかいないので余計に有り難く思えるのです。

 

 

次は不始末さんの現在のところの最新作『常夜糖』です。

 不始末 - 常夜糖     2016/6/14

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 "眠れない夜に常夜糖という飴のようなモノをくれる夜泣きおじさんをイメージして作りました。しかし夜泣きおじさんは窓ガラスの中にしかいないのです。(何のことやら)"

私はこの『常夜糖』が一番好きです。

 

ぐらんびあさんと不始末さんには一度、私が10月に神楽坂NOTRE MUSIQUEで行った「Pのエッセンス」というイベントに出演オファーを出したんですが、共に丁重に断られました。予想通り でした。良質の合成音声ONGAKUPは、どうもライブやDJなどしたがるタイプの方は少ない感じがします。Twitterにアカウントはあっても本当にひっそりとしたムードの方が多く、あくまで趣味ですよ〜 といった感じで欲がない。だからこそ、このような繊細な音になるんだろうなー という。

ではまた、常夜糖についての『「常夜糖」と作詞論試論』 という不始末さんのテキストを貼ります。

詞先と曲先

僕はいつも「詞先」で制作を行う。 詞先(しせん)いうのは曲先(きょくせん)の対義語で、歌詞を先に作ってからメロディをつけていく制作手法のことだ。 商業音楽にしろ同人音楽にしろ、作詞家と作曲家の分業が多いポピュラーミュージックでは、詞先ではなく曲先が主流となっている。

詞先と曲先のどちらが優れているということはないが、少なくとも歌詞の自由度とメロディの自由度はトレードオフの関係にある。 音楽としては自由で美しいメロディを作りたい一方で、言葉のもつリズムや音程とも整合性を取らなければならない。 また日本語にはピッチ・アクセント(高低アクセント)があるので、メロディの上下と言葉の音程の上下を極力合わせたいという制約が生じる。 曲先であればメロディとしての美しさが優先されるし、詞先であれば言葉のリズムや音程が優先される。 とはいえ一方が他方に完全に従属するわけではなく、メロディの主張と言葉の主張を擦り合わせて、互いに譲り合いながら作っていくのが現実的な作り方となる(分業だと、ここで歌詞の修正やメロディの修正のコストが高いので限界がある)。

ポピュラーミュージックで曲先が主流となっている理由は不明だが、想像するに、楽曲の訴求力のうち歌詞の占める割合が比較的小さいと考えられているためだろう。 文字情報がないと歌詞が聞き取れないことも多いので、当然といえば当然だ。

既存の詩に曲をつけるケースを除けば、詞先での制作はシンガーソングライター的な手法が多いと思う。すなわち、歌詞を作りながらメロディもある程度同時に作っていくパターンだ。この方法では、前述の「メロディと歌詞の譲り合い」を柔軟に行うことができる。 僕はこの「譲り合い」にメリットを感じて、シンガーソングライター的な方法をとっている。後述の「うた」の捉え方に基づくと、自然とそのような作り方に落ち着くのだ。

歌詞がうまれるまで

冒頭に紹介した「常夜糖」という曲に話を戻そう。 この曲はタイトルの「常夜糖」を最初に思いついた。 楽曲を作る際、タイトルを先に思いつくケースは比較的多い。 タイトル先行だと、「こういうタイトルの完成品があったとして、一体どういう作品だろう」と想像を広げることから制作が始まる。想像するのが好きな人には向いていると思う。

「常夜糖」は常夜灯と糖からなる造語だ。*1 糖といっても、グラニュー糖や栄養素としての糖ではなくて、最初から金平糖のことが念頭にあった。これは、テーマである「眠れない夜」が薬(たとえば睡眠薬)を連想させ、金平糖もまた薬を連想させるためだと思う。

作詞を始める前の事前準備として、金平糖について調べたり、金平糖を買ってきて眺めたり、食べたり、紅茶に溶かしたりしてみた。 そうして知ったのは、金平糖の特徴的な形状であるツノのようなものに決まった名称がないこと、そしてツノを形成するために数日~十数日の時間が掛かるということ、また金平糖は飴のようなお菓子と考えがちだが、歯ざわりがよいため舐めるより噛むほうが本来の食べ方であり、それに従うと一つでは物足りず連続していくつも食べたくなるということだった。 その知識は作詞の役に立ったか? 直接は登場していないかもしれないが、その体験がなければ、貴重な、洞窟の奥で静かに形作られる、依存性のある、といった常夜糖のイメージが生まれなかったのは間違いない。 なお、買ってきた金平糖はCDのジャケットにも使われた。

曲全体のテーマは(言葉で表すのも野暮だけれど)眠れない夜の痛みと、それに対する救いのようなものだ。その救いは神の救いのような正しいものではないが、一時的には非常に効果がある。 僕自身、眠れない夜はよく経験するし、そのときの思考や言葉の傾向もある程度掴んでいたので、作詞は比較的すんなり終わった。 やはり日常的に考えていることに関連していると作詞は進みやすいと思った。逆にいえば、馴染みの薄いテーマを作品にしようと思ったら、そのテーマを日常的な思考に浸透させる期間が必要ということだと思う。

強い言葉と弱い言葉

「夜泣きおじさん」という言葉が登場する。「おじさん」というのは組み合わせる言葉とのギャップによっておかしみを生みやすい言葉だ。おじさんの存在を仮定するだけで、想像を広げる大きな助けになる。実際に夜泣きおじさんの力は大きく、歌詞の一部は自分の中の夜泣きおじさんと対話するようにして生まれた。 今回の経験から、おじさんは「強い言葉」に分類しても良いと感じた。 これに味を占めておじさんを濫用しないよう心掛けねばならない。

「強い言葉」について書いておこう。 「世界」とか「愛」とか「私」とか、詩の語彙の中には強烈な引力を持つ言葉がある。強い言葉は詩の中でなくとも強いが、詩の中ではひときわ強い。 一方で強い言葉以外のなんでもない言葉は、弱い言葉だといえる。

強い言葉は、弱い言葉を簡単に食ってしまう。 たとえば「愛」という言葉がひとたび登場すれば、受け手は「あっ愛について言っているんだな」と簡単に『理解』なり『共感』してしまう。このショートカットはずるい。ずるい上に危うい。弱い言葉たちが繊細な意味の結びつきで表現しようとしていたことを一足で飛び越えてしまう。 こうなると、詩というメディアを通して送り手から受け手へメッセージが伝達されたように見えて、実際は受け手の内部の価値観が再生産されただけになってしまう。これでは詩が何も言っていないのと同じだ。

だから詩を書く者は強い言葉の使用に細心の注意を払わなければならない。 強い言葉の使用によく気をつけられた詩は、受け手に対して「何を言っているんだろう」という疑問の余地を残す。 この疑問の余地こそが、詩を単なる言葉の並び以上のものにするのだ。

「常夜糖」の歌詞の中では、「きみ」という二人称代名詞が特別強い言葉に分類される。 受け手が思い思いの「きみ」を想像してイメージのショートカットができてしまう、魔法の言葉だ。 今回の作詞に際しては「きみ」という語を使ってもよいものかよく考えた上で、十分な根拠を立てられたため使用に至った。根拠とは「この歌詞の登場人物は一人だけであり、窓ガラスに映った自分自身に『きみ』という二人称代名詞で呼びかけること自体に意味がある」というものだ。*2

前述の「強い言葉」「弱い言葉」の考えは初期の頃からあって、過去に作った「みみずワーズ」という曲は弱い言葉の視点を借りた曲だった。 奇しくも、「『きみ』の想像力から逃げる」という、やはり条件付きの「きみ」が登場する。

 

意味を編むということ

ここまで歌詞に対する考えを書いたが、歌詞をどのような意味で取るかは完全に受け手の自由だし、一度書かれたものは作者本人の手を離れる。だから上記の考えはある第三者の解釈にすぎない。

さらに元も子もないことを言えば、ほとんどの人は歌詞なんて聴かないし見ない。作り手は歌詞に過度な期待をしてはいけない。

それでもなお僕が歌詞にこだわる理由は、作ろうとしているものが「うた」であり、うたを作ることの本質が「意味を編む」ことだと考えているからだ。

うたの一部を虫眼鏡で見るように観察してみると、ある言葉がある音程と音価をもって発せられ、ある間隔が空き、別の言葉につながる。そして先ほどの言葉が再び現れたり、語義は異なるのに偶然同じ音である言葉が現れたりする(押韻とよばれる)。

もしある言葉が少し違うメロディで発せられたら、全く別の聞こえ方をするかもしれない。言葉だけでは伝わらない意味が、他の音と組み合わさることによって急に伝わるようになるかもしれない。 作者が意図する/しないにかかわらず、うたはこういった意味の結びつきにあふれている。

うたは、単に言葉と音を合体させたものではない。「意味を編む」とは、言葉や音といった構成要素を動かしながら、こうした意味の発生と消滅を見守ることだ。 (上記のように「言葉と音が複雑な意味の関係を形成したもの」として捉えるとき、僕は「歌」や「詩」や「唄」ではなく「うた」と表記することにしている)

おわりに

ある種の執着心をもちながら、一方で歌詞なんてなければいいと思う気持ちがある。 歌詞にこだわりのある人がいたら一緒に悩んでほしい。

  • 自分が音楽を聴くとき、いったいどれだけ真面目に歌詞を聞いていたか?
  • 苦しんで書いたとしても、誰にも何も伝わらないのではないか?
  • 歌詞に固執することが、音楽の豊かさを損ねているのではないか?

答えは出ないので、今日も頭の中の作詞おじさんと議論している。*3

*1:余談だが、YouTubeにアップロードするときにオマケ的につけている英題は「lamp of sugar」にした。こちらのほうが日本語にない「常夜"灯"」のニュアンスが残っている。(英語圏の人から見て違和感がないのかは知らない

*2:このアイデアを受けて、呼びかける側を初音ミクdark、呼びかけられる側を初音ミクsoftが歌っている

*3:話がオチないのでついまたおじさんに頼ってしまった

 

次は円盤Pと呼ばれる鈴鳴家さんの曲を聴いてください。

 鈴鳴家 - フリーはフリーダム     2016/3/9

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合成音声ONGAKUにおいてヒップホップなトラックやラップなヴォーカルというのは全く珍しくないです。意外ですか?でも、とてもありふれています。ニコニコ動画ミックホップボカロラップというタグを巡っていけば山ほど存在してることを知るでしょう(私も巡ったことはないのでテキトーを言いました^^)。

その中でも鈴鳴家さんのこの曲は格別にスタイリッシュな傑作でしょう。鈴鳴家さんの音はCorneliusと同格にシンプルハイテクストでありつつ100点満点な娯楽感があります。

 

鈴鳴家さんの曲で最も聴かれている曲は「ステップをふむ」です。

 鈴鳴家 - ステップをふむ     2013/2/25

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それでも8万回の再生じゃ全然少ないな、と思ってしまう突き抜けたPOPさと中毒性。

10/5(2017)に行った私の企画イベント『でたらめ音楽教室・課外授業《ボカロ》1』にはなんとお客さんとして鈴鳴家さんが来てくれて、その時に直にきいたんですが、鈴鳴家さんの曲は非常に時間をかけてゆっくり推敲して完成度高く磨き上げていく のような意な発言がありました。それも頷ける隙だらけの隙の無さですよね。

『でたらめ音楽教室・課外授業《ボカロ》1』の時の私と鈴鳴家さん

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鈴鳴家さんはこのマスク姿で来店されたわけではありませんよ?

素性がバレては困るということで急遽顔に巻物をして、仲良さそうに写って見ましょうか と記念撮影した写真です。

鈴鳴家さんにもその後の「Pのエッセンス」というイベントへの出演依頼したところ、断られました。ギターでテキトーに即興で歌うみたいなライブならできる のような意なことも『でたらめ音楽教室ではおっしゃってたんですけどね。。

Pがするボカロレス・打ち込みレスなライブ表現。

ベテランミュージシャンが作るキャリア初の合成音声ONGAKU

どちらも興味深いものがあります。

 

 

 

 

 

 

 

2. Puhyuneco『アイドル』とピスタチオ『地球の午后三時』

yeahyoutooの次にインパクトのある出会いだったのがPuhyuneco (プヒュ猫?) の2017.8/31投稿作『アイドル』だったのは私にとって運命的な順序だったかもしれません。

 Puhyuneco - アイドル  /2017.8.31

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おかげで私はいてもたってもいられなくなりUTAUのことを調べてUTAU-Synth(mac OSX用UTAU試用ライセンスツール)をダウンロードし、それを使ってボカロ曲を完成させ、『アイドル』を聴いて1週間後の9/7にはSoundcloudに初のボカロ曲(UTAUオリジナル曲のことも便宜上ここではボカロ曲と言っていきます)をアップしていました。

『アイドル』は(というかPuhyunecoのサウンドは)どうしようもなくAphexTwinを想起させます。音の独特な立ち具合・ヌケの良さ、一聴して感じるピュアネス。AphexTwinを想起させるから素晴らしいのではなく、PuhyunecoPuhyunecoとして、『アイドル』は『アイドル』だから、素晴らしい。

『アイドル』を聴いて感動したのは私だけではなく、Twitterで『アイドル』を話題にしたほとんどの人が衝撃を受けている様子だった。そしてそのピュアネスに対して鈴木O(サンプリングを駆使したトラックのボカロ曲を多く作っているP)さんが言いだしたような気がしますがイノセンスという言葉がキーワードにあがり、Puhyunecoを話題にする人達の間ですぐにジャンル名に近い使われ方で定着していったほど皆が感じるピュアさがある。

私自身は「じゃあそのイノセンスをやろう」などとは思わなかったのですが、そのイノセンス論議には関心があったので自分としてのボカロ処女作『地球の午后三時』の歌詞には「pure..pure..pure..」という言葉を歌詞の題材として盛り込んだりもしました。ツイッターで私はその論議には加わらない代わりに音で・歌でイノセンス「Puhyuneco」や『アイドル』を話題にしてみた、というような感覚でした。

suppaピスタチオ - 地球の午后三時 /2017.9.17

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Puhyunecoさんは『アイドル』を投稿した8/31の時点ではまだツイッターアカウントもあって、本人のつぶやきからPのエッセンスを感じることができましたが、宣言した後9/16にアカウントを消去してツイッターワールドからは姿を潜めてしまいました。

兎角才能があり良い作品を作るPにはナイーヴな人物が多く、いつ創作をやめてしまってもおかしくない際どさがあります。Puhyunecoさんは『アイドル『孤独』の2曲を8/31に投稿して以降、10/23に『Somnia』、11/17に『1/100』を投稿していて現状Puhyuneco名義では『1/100』が最新作なのですが、同一別名義であろうmodelmadicaという名義ではより過激な作風で11/1に『±∋Tょら』、11/14に『八ジ〆まU〒』(共に表記まま)を投稿しています。

 そして、更にPuhyunecoと同一人物なのではないかという説のあるdavid k andersonという2016年から投稿が活発なPもいます。

 david k anderson - 夢を見てる君の白い頬へ、夜空に隠れてキスをする。/2017.5.7

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 どうでしょうか? ストリングスを多様するスタイル、初音ミクの調声(ボカロファンの間では調教とも言います)具合、格調あるドリルンベースマナー、コーラスワークの癖、サムネイルに使われるイラストのタッチ、、。かなりの共通点があり、私も同一人物なんじゃないかと思っています(違ったとしても構わないんですが)。

david k andersonニコニコ動画YouTubeにダブル投稿するタイプなので、まだニコニコ動画に抵抗あった私はYouTubedavid k andersonの過去曲を全部聴いていきました。どの曲もスタイリッシュな美しさとかっこよさがあってとても聴きごたえがあり、聴いていくうちにそれまでボカロに抱いていた固定的イメージがどんどん溶けていくような体験でした。

ニコニコ動画合成音声ONGAKU界隈には多種多様なタイプの音楽性を表現できるPが様々なレヴェルで揃っていて、ボカロにこんな音楽性の曲は無いんじゃないか?と思うような種類の曲調の曲もきっと探せばどこかで誰かが投稿しているように思います。普通の音楽合成音声ONGAKUと比べてその多様性にはなんの差もないでしょう。

いや、それどころか3ヶ月間ニコニコ動画内の合成音声ONGAKUを掘りに掘った私の正直な感想を申せば、ボカロ界ではボカロ以外の一般の日本のROCK/POPS/CLUB/HIPHOPシーンではなかなか見つけられないような、驚愕するほど高度な快感音楽がゴロゴロ転がっており、10年分のアーカイブの海に今も日々素晴らしい曲が加わり続け、海抜を上げていっているんです。

ボカロの曲って高速でアッパーな曲ばっかりなんじゃないかというイメージの方は多いんじゃないでしょうか。でもそれは偏見です。オリコンのヒットチャートに好きな音が見つからないって人にだってインディシーンや知り合いの身近なバンドには好みな曲があったりするでしょう? 当然ながらボカロシーンに置き換えてもきっとおんなじです。

 

 

 

私がニコニコ動画の歴史や初音ミク及び合成音声ONGAKUの歴史についてyeahyoutooPuhyunecoの曲をきっかけにして興味を持った時期がちょうど、初音ミクの10歳の誕生日前後だったことでツイッター上で多くのボカロリスナー(やかつてのリスナー)の人たちがボカロ音楽10年10選・10年100選リストを上げてるタイミングで、まずキュウ(@rooftopster9)さんの10年100選マイリス(その人のお気に入り曲リストのこと)を全部聴いてみたんです、抵抗のあったニコニコ動画にて。

そこで私のボカロへの偏見は完全に消えました。100曲中数曲でも気に入りができたらめっけもんかなって気持ちで聴き始めたのに、キヅミタ、ぶらっく でぃ、みみみエナ、ねこむら、ぐらんびあ、鈴鳴家(円盤P)、Noko、piptotao、gurupon、てんき、kiyu、でんの子P、ヒッキーP、クロワッサンシカゴ、松傘、幼術使い、大仲ヒナタ、Wonderlandica、mayrock、緊急ゆるポート、jake、見切り発車P、大内克之、ミルカ(牛乳中毒P)、MSSサウンドシステム、、などなど、今も特別いいなと思えるPに一気に出会ってしまい、半数以上が好みな曲で、好みではないような曲調でも、その魅力はビシビシ感じられて、結局みんないいじゃないか!となりました。それと同時にニコニコ動画の、流れる歌詞やコメントや各自が工夫して作った動画やイラストと共に全てセットで曲を楽しむという文化にもじわじわと慣れていきました。セットだから伝わる奥行きが確実に在り。

その後はvocanew紹介家として日々合成音声ONGAKU新着曲レヴューをしてくれているa・a(@akhkvocaloid)さん、ygch(@yag_yaguchi)さん、めぐみこ(@megumiko_s)さんのツイートなどで新曲はチェックしつつ、いいなと思ったPの過去曲やマイリスを巡っては驚き、宝の山を前に日々の音楽ライフが一気に華やぎました。

加えて自分もそこに投稿し、参加できるということでクリエイティブなモチベーションが数年ぶりに盛り上がり、いつでも曲を作りたい気持ちで満ちた、音楽家としていたって健康な状態を取り返せています。

 

 

 

 

 

1. 未知の音楽との遭遇

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新しくブログを始めます。

これからここでは主に合成音声ONGAKU関連の話題にまとを絞って投稿していこうかと思います。語り口としては現在合成音声ONGAKUに興味を持っていない人や、ボカロのこととか何にも知らないけどいい曲orヤバイ曲があるというなら手っ取り早く知りたい、という合成音声ONGAKUビギナーの方向けな話し方で始めてみようと思います(最初だけかもしれません)。とはいえ、私自身も完全ににわか合成音声ONGAKUビギナーそのものなのですが。が故に、伝えやすいこともあるかもしれないと考えました。

 

「合成音声ONGAKU」って?

合成音声ONGAKUとは、一般的に皆が「ボカロ」と気安く言ってる種類の曲全部のことをそう(sol@mimiさんのブログで使われてたのをいいなと思い)言ってみてます。

「ボカロ」も「VOCALOID」も正確にはヤマハの開発したDTM制作用音声合成技術、及びその応用製品の総称のことを指します。

クリプトン社の

MEIKO
KAITO
初音ミク
鏡音リン
鏡音レン
巡音ルカ

 

ヤマハ社の

VY1(ミズキ)
VY2(勇馬、ロロ)
Mew
兎眠りおん
蒼姫ラピス
ZOLA PROJECT
メルリ
杏音鳥音(アノンカノン)
v flower(ブイフラワ)
ギャラ子NEO
 CYBER DIVA
Sachiko
アルスロイド
Unity-chan!
Fukase
CYBER SONGMAN
夢眠ネム
AZUKI/MATCHA 


インターネット社の

がくっぽいど
Megpoid
GUMI/LiLy
ガチャッポイド
CUL
kokone
Chika
音街ウナ

 

AHS社の

氷山キヨテル
歌愛ゆき
miki
猫村いろは
結月ゆかり
東北ずん子 

 

1st PLACE社のIA

などです。色んな歌声があります。

他にも海外メーカーからもVOCALOIDソフトは販売されています。

 

そして、それらとは別に「歌声合成ツールUTAU」という実質フリーの歌声合成シェアウェアがあるのですが、そのUTAUを使用して作られた合成歌ものソングの聴こえ方は、詳しく知らない者にしてみれば上記の有料ソフトを使った「ボカロ曲」と区別はつかないでしょう。それでも、VOCALOIDは歌唱の音節接続についてエンジンで合成(特許部分)しているが、UTAUは接続されず、手作業でつないでいる” という違いがあります。。

まあ、その辺のことは興味湧いたら調べてみてください。DAWに打ち込んだ1本線のピアノロールメロディMIDIデータをUTAUに取り込むと歌詞を当てはめれば選んだ歌声で合成歌唱が可能になるんです。

UTAUのキャラクターには

唄音ウタ

重音テト
雪歌ユフ
滲音かこい
彩音ゆめ
雨歌エル
ORIGAMI-I
桃音モモ

逆音セシル
闇音レンリ

などを代表とした何千種類ものライブラリーがあり、インターネットで簡単に入手できるようになってます。おこずかいがなくてもとりあえずやろうと思った日から他にDAWツールとMIDI鍵盤とMIDIオーディオインターフェイスさえあれば、歌ものPOPSを1人で作り始め、完成させることが可能なんです。あなたが音痴だったり自分の声が嫌いでも。大きな音を出せない住宅環境であったとしても。

 

他、 CeVIO(チェビオ)という会話音声と歌声の両方の作成ができるソフトウェアもある。

CeVIO(チェビオ)のキャラクターには

さとうささら
タカハシ
ONE-ARIA ON THE PLANETES-(オネ)
IA-ARIA ON THE PLANETES-(イア)
赤咲湊
金咲小春
ハルオノイドミナミ

などがある。

 

 以上で全てではないですけど、合成音声ONGAKUの分類説明でした。

 

私が本当に合成音声ONGAKUに興味を持ったのはつい数ヶ月前の2017年8月後半でした。

この記事の一番上の動画「but the sky is blue」TwitterのタイムラインでYoutubeリンクとして流れてきたような気がします。それがニコニコ動画だったとしたら見てなかったと思います。なぜなら、ニコニコ動画はそれ以前にアカウントを作ったことはあったけど、パスワードを忘れがちだったり、ログインしたとしても再生が始まるまで時間がかかったりするのがもどかしくてずっと避けていたからです。動画にいろんな人の2ちゃんねる的な言葉が沢山流れてくるのも音の邪魔だという感覚を持っていたから尚更です。

ボカロ系の音楽についても、それまでSoundcloudで知っていたドグマ虫さんのボカロ曲は好きでしたがそれ以外には左程興味を持つきっかけがなく特に期待していなかったような私でした。「but the sky is blue」ケイシャーという名で一部の人達の間で注目されてるボカロの作り手(以後ボカロの作り手のことを”〜P”とします)の曲なのですがその曲では名義が"yeahyoutoo"というクレジットになっていました。

ニコニコ動画で曲の動画を投稿するP達には正式P名とあだ名としてのP名と、更にニコニコ動画以外でのアーティスト名表記が全部違うというパターンが一般的であったりすることが多いんです。

それでもって更に、【DEX,DAINA】という表記が「but the sky is blue」で使用した歌声音声ソフトのキャラクター名だったりするのでボカロの文化に慣れてない私にとっては最初その辺はちんぷんかんぷんでした。

でもまあともかく私は「but the sky is blue」をボカロ曲と意識することなく、タイムラインに流れてきたリツイートか何かの中からたまたま再生してみる気になってそのyoutube動画で曲を聴いたわけです。

そうしたら!

音の感触はフューチャーベースっぽいのに、人気のある類のフューチャーベース曲にありがちな媚びた感じの可愛いらしさが皆無で、独創的なPOP感と展開力に耳が釘付けになりました。9分の曲が飽きないどころか最後までずっと刺激に満ちていてとても感動しました。歌は主に英語でしたがそれがボカロだとかそうでないとかは最初全く意識に上がりませんでした。

とにかくすごい"音楽体験"でした。そのPのTweetをのぞくと、どうやら「but the sky is blue」を収録したアルバムをBandcampで販売を始めたばかりで、その売れなさに失望し、今にも音楽活動をやめてやろうかというような嘆きの言葉が目に入りました。それは困ると思いすぐにアルバムのデータを購入しました。私がネットで音楽を買うことはかつてほとんどなかったんですが特別な音楽だと思ったので何の躊躇もなく。非常にプレグレッシブではあるけどとにかく新感覚なPOPを感じられる最高に嬉しいアルバムでした。

 

それをきっかけに、ボーカロイドを使って面白い音楽を作ってる人は他にもひょっとして沢山いるんじゃないか?と思い始め、意識的にボカロ関係の情報を見るようになりました。タイミング的に初音ミクが誕生した日からあと数日で丸10年だってことで10年を振り返る記事やつぶやきに溢れていて、わけわからないながらも読み聴きし始めたのが8月末のことでした。

 

(続く