Lucky For Voyage

この度私のアーティスト英語表記名を今までのsuppa micro pamchoppから

suppa micro panchop 

に改めたタイミングで今まで利用していなかったサブスクリプションサービスに登録し、配信第一弾としてニューアルバム『Lucky For Voyage』がめでたく解禁となりました。

spotify➡︎   https://open.spotify.com/album/0HTE2dAVLJSbMqZOUoKuaY

Apple Music➡︎https://music.apple.com/jp/album/lucky-for-voyage/1531003373

DEEZER➡︎https://deezer.page.link/qB5HygyxLwKfG1zs9

LINE MUSIC➡︎https://music.line.me/album/mb0000000001db1fbb

amazon music➡︎https://music.amazon.co.jp/albums/B08HPC6TPZ

以上は各サブスクサービスのページです。利用しているサービスがあれば是非聴いて下さい。

今回の新作は現状CDプレス化の予定はないので、アルバムを非圧縮の私の意図する良き音で聴きたい方や、私に労いの投げ銭を寄付したいという素晴らしいお方は

bandcamp➡︎https://suppamicropanchop.bandcamp.com/album/lucky-for-voyage

BOOTH➡︎https://recordmizukoshi.booth.pm/items/2356278

上記bandcampかBOOTHのページからデータ購入してください。

上記の全てのリンクにsoundcloudYouTubeInstagram、SUZURIのリンクまで加えた便利なファンリンクはこちらです。Fanlink➡︎https://fanlink.to/suppamp

私は音楽を作る際、大抵はノープランノーコンセプトの成り行きまかせなことが多く、特に既成のサウンドモデルや曲調モデルとかはなく、イメージは空っぽのまま、自分にしか表せないどんな形が表出させられるのかを楽しみに作っています。

誰かの様な音楽は作りたくないが、例えば60年代のジェームズ・ブラウンがファンクを発明した時の様な、若きアントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルトが出会ってその化学反応としてボサノバが生まれた時の様な、ビートルズが誰もやったことのないアイデアをポップスに詰め込んでいって出来ちゃったミュータントな曲の様な、そんな爆発的な誕生を毎曲で生み出せたらいいな、、という意識は強く持っている。それができてる、なんて言いませんけど。

それはただ、フレッシュでポップであればなんでもいい という気持ちとも言えるかもしれません。

そして、私は自分の音楽の形態が電子音楽的であることにそんなにこだわりはない。私は音全般が好きなのであって、電子音楽専門家であるつもりはない。マインド的には多分パンクとかロックとかそっち寄り。楽器も全然うまく演奏できないし歌も音痴、ツールにすらお金をかけないような自分からポップな何かが表せたら超楽しい。キャッチーなのに妖しさ不思議さ他に無さがあったら尚よろしいじゃん。そんな感じです。

私が表現する時や誰かの表現を堪能する時、こだわるのはリアリティの有無。サムい表現がなぜ寒いかといえばリアルじゃないから。杓子定規な言葉は死んでる言葉だし、杓子定規なリズムは死んでるリズム。フレッシュじゃないんです。世の中そういうリアルじゃないサムい表現物の方が圧倒的に多いわけだから、私がリアリティにこだわってものを作ることは意味(意義)がある。

例えば、幼児がクレヨンで描いた雑な落書きに動きをつけた様なスカスカでグニャグニャなアニメーションがあるとする。人間の子と動物(豚とかハリネズミとか)が都会の雑踏を会話しながら歩いてる、そんな内容で。そこに実写と変わらぬ奥行きのあるリアルな雑踏のサウンドスケープと、演技を感じさせないサラッとした空気感あるアフレコを乗せる。
観る人がそこから感じるリアルさはただのリアルとは違うPOPなリアルさ。視覚的にはデフォルメの最北なのにサウンドは超現実的。そこに生じる立体感にはただの実写表現のそれやリアルなアニメ描写でのそれよりも深い奥行きを感じるだろう。70年代のセサミストリートとかでそんな感じのアニメ結構あったよね。

多重録音でシンセサイザーの音色をチョイスする時、音色本来の役割とは違う役割を与えてあげることには、先のデフォルメアニメと近い立体効果が得られる。「よくある感じ」というのが「現実」であるのに対し、リスナーが予測する「よくある感じ」をいい意味で外して上げること、そこにPOPが生まれる。「違和感」ってPOP感と大いに関係がある気がしませんか?

親しみやすい旋律。それを何の楽器かわからない様な音色で鳴らす。ちょっと変な感じ。だけど美しさやわかりやすさもある。リアルとアンリアルが共存している愉しさ。それはどんな位相のパターンでもいい。そのバランスのやりくりはリアリティの為のやりくりだし、POPをデザインするやりくりだと思う。

奥行きの作り方は無限大。音楽は時間芸術なので、1枚の静止画と違って数分間の中に何回でも場面展開できる。同じシーンの中でも瞬間瞬間にリアルさのレンジを広めたり狭めたりもできる。奥行きのある時間と奥行きのない時間も共に包括されてることでもっと大きな奥行きを出すことも出来る。波があってこそ音楽的であれるとも言える。音は波だし。

子供が殴り書きした様なタッチの動物が人間の子供と日本語で会話している。そこに正規の訓練された声優さんのアフレコを乗せるのではリアリティは弱くなる。どうしてもプロであるがゆえの杓子定規で作為のある演技になってしまうだろう。いや、それでもいい。それでさえも充分POPさは出せる。
が、しかし、、、、

つまらないギャグとかにも状況次第で奥行きがうまれるもので、つまらなさそのものを面白さに転換可能なわけで... 誰がいつどこでどんな口調でどんな顔でどんな背景を背負ってどんな間を挟んでどんなリズムでそれを言うかで全然違うわけで、、、

ちょっとキリがないのでこの辺でやめておきますが、こんな風に思ったりする私の最新作『Lucky For Voyage』、聴いてくれた人には必ずラッキーなことが起こるって私はなぜだか信じてます。虹のジャケットも縁起がいいし、音も福音って感じじゃないですか?

絶対いいことあります

 

Lucky for you

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